新宮市議会 2022-12-13 12月13日-02号
掛川の僕は見本にしたいと思たあるんやけど、掛川のお城の天守閣の再建というのは、うちもそうやけれども、明治維新のときに城として存続やったお城が、明治6年ぐらいから次々と壊されていって壊されたと。これがやっぱり昭和30年ぐらいから、昭和の築城ブームというのができてきて、全国でとっとこと城が造られた。
掛川の僕は見本にしたいと思たあるんやけど、掛川のお城の天守閣の再建というのは、うちもそうやけれども、明治維新のときに城として存続やったお城が、明治6年ぐらいから次々と壊されていって壊されたと。これがやっぱり昭和30年ぐらいから、昭和の築城ブームというのができてきて、全国でとっとこと城が造られた。
新宮高校は、明治34年、新宮中学校として開校しております。今日まで121年、佐藤春夫はじめ多くの新宮市の名誉市民も輩出し、新宮中学、旧制新宮商業高校、新宮商業、ほいで新宮女学校、終戦時には、学校編成ちょっといろんなことで変わったということを聞いていますけれども、僕らの時代になって新宮高校として長い歴史のある学校です。
実際、明治時代から140年の長きにわたり二十歳成人と定められてきたものなので、慎重な審議を要するのは当然だと私も思います。 担当課にお尋ねいたします。 その後、この件について何らかの進展といいますか、ありましたでしょうか。 ◎生涯学習課長(野本渉君) 生涯学習課、野本よりお答えいたします。
○総務課長(古倉 充) 基本的に、地籍調査の場合は公図を基にしてということなんですけども、その公図というのも明治維新以降のお話なんですね。地租改正の頃からなったんですが、一旦土地が廃仏毀釈とかの関係でなった上で国に没収されるんですが、その後、金剛峯寺に戻ってきたと。その公図を基に、その図面を基に大字高野山に関しては公図が作られてます。
5項1目社会教育総務費の説明欄2から4及び6の事業については、各種生涯学習講座の開催でありますが、4の新宮市民大学開催については、明治大学と連携し、公開講座を開催するものであります。
それで、明治の文豪佐藤春夫さんね。旧チャップマン邸、そして西村伊作さん、そこを何とか早くもう進めていただきたいと思うんですが、一言よろしくお願いします。 ◎教育長(速水盛康君) 今、御指摘いただきましたように、佐藤春夫のゆかりの地でもあります。非常に歴史的な経過も含めまして大切にしていきたい、今議員おっしゃられたことをしっかりと受け止めていきたいと思います。
江戸時代後半、外国の船が日本近海に進出し、乱獲を続けたことから、鯨が減少し、熊野地方の古式捕鯨は明治時代に幕を閉じました。 ◆14番(屋敷満雄君) ですから、僕も、ここにも何人かおるんですけれども、三輪崎郷土芸能保存会、鯨踊、これは、由来は水野の殿さんに、鯨上がったときに献上するための踊りやったと。それが脈々と今まで残っているということで、間違いありません。
明治の人が東京まで行ってあれだけの学院へ入るということは、頭も優秀だしお金もかかったと思います。だから東京の方は新宮市のことをそう言ってくれます。やはり芸術と文化のまち。そのほかにも名誉市民がございます。大石誠之助先生のような大金持ちの家であっても自分でアメリカに船で渡って医学を勉強して帰ってきて、船町に太平洋食堂をつくられ貧しい人に医療費も取らずにやられた。
歴史的に古い荷役会社は、明治時代から反社会的勢力がその重労働、港湾荷役を請け負った歴史があって、そのときやだ。 それで市長は、公社でやりたかったんやけれども、今答弁は法的に難しいというような答弁をしとったんや。関係ないんや。公社がやろうと思ったらできるんや。そのときに進出してきた業者が、官が民業を潰すんかと、港湾は県の管理港やで。そのときの県議会議長が新宮市選出の県議会議員や。
ただ、財産区ということ、同僚議員からその話出て、たまたま僕、嫁さんが病院へ行くんで遅くなったときの話だったのが、会議録で分かったんですけれども、確かに三輪崎は明治30年代に三輪崎の区有林が区が持った山があったと。ただ非常に荒れておったんで、その当時の区長が区民を全員連れていって、三輪崎の区有林として植林しようということをなされたと。約90平米ありますから非常に大きなものです。
尖閣諸島は1895年(明治28年)1月に日本政府が沖縄県への所轄を決定して以来、歴史上も国際法上も認められた我が国固有の領土であることは紛れもない事実であるにもかかわらず、同海域で頻発する中国公船の沖縄県漁船に対する威嚇行為は、今後更なる不測の事態を招くおそれがあり、断じてあってはならない。
この要望の中に、左会津川は、明治22年の大水害や大正6年の暴風雨など、堤防の決壊や秋津の龍神橋、高山寺麓の高山寺橋が大正6年には流出し、現在の下万呂葺石から小泉にかけて堤防下から水が噴き出し、堤防が危うくなったというふうに書かれています。そして、現在の磯間の青年の皆様や在郷軍人が防備に駆けつけて土俵を作って積むなどして、辛うじて食い止めたというふうなことが田辺町史に書かれてあります。
◎生涯学習課長(南拓也君) 生涯学習課では、公民館本館事業の大人のピアノ教室と絵画教室、市内在住の60歳以上の方を対象にした講座、健人大学、そして明治大学との学術連携協定に基づく新宮市民大学と題した講座を開催しております。 ◆2番(大坂一彦君) ありがとうございます。 そのほか、うちではこれをやっていますとかあれば、御答弁いただければありがたいと思います。
◆4番(上田勝之君) それで、これは以前榎本議員も指摘されていたかと思うんですけれども、以前は熊野学の関係で明治大学との連携を図って、東京の明治大学でも年一度セミナーというかフォーラムといいますか、そういったものを開催されていましたよね。それを終了させて、今回東京大学、秋山先生なんかは非常に熊野に関心を持たれて当地方に学生さんを連れて来ていただいている。
昨日、東方議員が質問をした男女共同参画やジェンダー平等、橋爪議員の質問の中に入ってあったヤングケアラーの問題を含めて、さらに国会でも論議されている選択的夫婦別姓問題など、明治以降からの家父長制度から新たな生活様式に大きく変化してきている現状を考えるに、扶養照会そのものが時代遅れとなり、福祉事務所が扶養照会に時間を費やすことなく、生活困窮者を助けることに専念できるようになることが期待されます。
5項1目社会教育総務費の説明欄2から4及び6の事業については、各種生涯学習講座の開催でありますが、4の新宮市民大学開催については、明治大学と連携し公開講座を開催するものであります。
明治の英傑と比べるのは僣越ではございますが、例えば坂本龍馬は31歳で亡くなりました。木戸孝允公は43歳、大久保利通公は47歳ですか、西郷南洲翁は49歳でこの世を去ったわけで、55歳とはるかに彼らを飛び越えてしまった年齢で振り返って、あいつはこれをなしたと誰か筆で書いてくれるような仕事がなせたのかなと思ったら、いささか頼りない話であります。
今あるようなパープル南高とかパープルクイーンとかというような、パープルクイーンは白王の枝変わり、パープル南高は、南高梅の枝変わりということで、それを選抜しながら一つのパープルクイーンであったりパープル南高という種類をしてますが、何とかその枝変わりの中で受粉する南高梅というのが見つけられれば、一番この南高梅というブランドを守っていけるとは思うのですが、高田梅とかという、明治のところからしてくる中に、約
また、明治百年記念事業、和歌山市制80周年を迎え、陸奥宗光伯銅像建立趣意書の結びには、「先覚者の偉勲をしのび、国礎に献身した英雄を紀州人のみならず我々国民の誇りとして守ることは国民、県民の責務であり、特に今後の教育、文化、政治に宗光の道標を輝かし、伯の悠然とした英姿の高揚は、独り国民及び和歌山県民、市民のみならず、今日我が国の置かれている国際情勢、人心の動乱を思うとき、極めて時宜を得た企画であると信
(6番 久保浩二君 登壇) ○6番(久保浩二君) 今回、パンデミックということで、日本でも江戸時代末期から明治にかけて大流行したコレラ、そのときの対策での教訓で言われているのが、ウイルスより怖いのは人間の無理解、制裁、隠蔽というふうに言われています。そして、必要なのは、民衆の側から感染症対策をすることだというふうに言われています。 田辺市の中核病院にはPCR検査機器が配備されています。